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浦和地方裁判所 昭和31年(行)1号 判決 1959年2月17日

原告 浜野政子

被告 埼王県知事・飯能市農業委員会

主文

被告埼玉県知事が昭和二十二年八月二十一日埼玉県飯能市大字元久下分村柳渕四百三十四番地の一畑九畝十三歩についてなした買収処分の無効であることを確認する。

被告飯能市農業委員会に対する原告の訴はこれを却下する。

訴訟費用は、原告と被告埼玉県知事との間においては原告について生じた費用を二分し、その一を被告埼玉県知事の負担、その余を各自の負担とし、原告と被告飯能市農業委員会との間においては全部原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、主文第一項同旨及び「被告飯能市農業委員会が昭和二十二年五月九日埼玉県飯能市大字元久下分村柳渕四百三十四番地の一畑九畝十三歩について定めた買収計画の無効であることを確認する。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決を求め、その請求原因を次のとおり述べた。

「請求の趣旨記載の土地(以下本件土地と称する。)は原告の所有であるところ、被告飯能市農業委員会(当時飯能地区農地委員会その後飯能市第一農業委員会、昭和三十二年七月二十日飯能市農業委員会と改称、以下、被告委員会と略称する。)は、昭和二十二年五月九日これを不在地主所有の小作地として、自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する。)第三条第六条の規定に則り、同年七月二日を買収の時期とする買収計画を樹立した。そこで、原告は直ちに被告委員会に異議の申立をしたが、これを棄却され、さらに埼玉県農地委員会に訴願を提起したところまた棄却された。次で、被告埼玉県知事(以下、被告県知事と略称する。)は、右買収計画に基き、同年八月二十一日原告に買収令書を交付して、本件土地を買収した。しかし、右の買収計画及び買収処分には、次のようにこれを無効とすべき原因がある。

(一)  本件土地は宅地である。(イ)飯能市(当時飯能町)の料理街である所謂指定地区から僅か五十間の距離にあつて、周囲はすべて家屋に囲繞されている。またその北側は幅員三間の砂利道路に面し同所には高圧消火栓がある。そして、上水道、燈火用電線が通じている。(ロ)原告の実父池田文平は、ここに住宅を建設する予定であつたが、当時戦争中のため着手を遠慮していたもので、原告も右文平から本件土地を永住の宅地として譲り受けた。(ハ)昭和三十年六月五日、本件土地を含めて飯能市久下地内土地区域整理組合が設立され、昭和三十一年三月十五日付をもつて土地区劃整理法第十四条の規定により埼玉県知事に認可を申請し、同年七月七日右認可を受けた。しかして、本件土地は、少くとも昭和二十五年三月頃以前から土地区劃整理地区として予定されていたことは明らかであつて、その実施が叙上のように延引したのは敗戦の混乱に因ることもまた明白である。かような事実から推しても、遡つて買収当時、宅地と認めるべき土地であつたと言える。(ニ)もつとも、右買収の頃、ここには麦、甘藷その他蔬菜類が作付され、一応耕作の対象となつていたが、これは、たまたま食糧増産と言う国家的見地から、昭和十二年頃より、知人の訴外中里和市に期間を定めず、無償で耕作させていたために過ぎない。

なお、次の各事実は、本件土地が宅地であることを無視して買収した結果に外ならない。換言すれば、次の事実から推しても、遡つて本件土地が買収当時宅地と認めるべき土地であつたと言わなければならない。(イ)元来、自創法による農地の買収と売渡とは平行的に進められ、その結果買収と殆んど同時に、または直後に小作人への売渡手続が行われた。従つて、もし本件土地が農地であれば、直ちにこれを中里和市に売渡すべきところ、現に農林省所管の国有地として国が保有したままである。(ロ)買収後間もなく、飯能町農業協同組合(以下、飯能農協と略称する。)は、米麦加工利用場、および倉庫建設の目的をもつて前記中里和市に僅か金八千五百五十円を支払つて離作させた上、昭和二十四年四月十四日被告県知事に対し農地調整法施行令第二条第一項の規定による賃借権譲渡の許可申請をし、同年六月三日右許可を受け、続いて右目的を実現するため同年六月十五日、同じく被告県知事に対し本件土地につき宅地転用の許可申請をし、同年七月二十六日その許可を得た。ところが、飯能農協は右利用場等の建設をせず、昭和二十九年十一月十五日付をもつて、被告県知事に対しさらに農地法第二十条第一項の規定する賃貸借解約の許可を申請し、昭和三十年一月二十四日右許可を受けた。その間原告は、本件土地が買収目的である農耕に供さず、本件土地をめぐる一連の事実が余りにも理不尽であるため、昭和二十九年十月頃、県当局に対して現状の不合理を訴え、自己において家屋を建築したいから許可されるよう申し出たところ、さすがに県当局も正当な要請を黙止できず、原告に対し転用許可申請書の提出を促し、右許可の内諾を与えた。そこで原告は、まず飯能農協の離作同意を求めたが、離作料として金八十万円を要求されたので、やむなく県当局の斡旋を依頼して、同年十月二十一日飯能農協の離作承諾を得た。しかるに、他方奇怪にも、当時被告委員会の委員であつた訴外服部融泰は、飯能農協に対して離作料三万円、寄附金名義十二万円計十五円万を支払い、右飯能農協の同意を得て、同年十一月十五日付をもつて農地法施行規則第四十四条の規定による国有農地の借受申込書を被告委員会に提出したので、同委員会は服部に本件土地を貸付けることが相当である旨の意見書を添付し、同月十九日被告県知事に対し右申請をなし、昭和三十年四月二日その許可を得た。そのため原告が、同年三月四日、農地法施行規則第四十六条の規定に則つて、本件土地の転用借受書を被告委員会に提出しても、同委員会は書類に不備があるとして仲々受理せず、ようやく同月十四日に至つて受理しが、結局耕作者である服部融泰の離作同意書の添付を欠くとして書類を返戻した。もとより服部が離作に同意する筈のないこと万々承知の上である。服部は、飯能市観音寺の住職、幼稚園の経営者であつて、到底専業農家と言い難いにも拘らず、土地の有力者として被告委員会委員、飯能農協役員の地位を利用し、県当局に圧力を加えて一時耕作の許可を受けたもので、将来、これを農地として廉価で払い下げて貰い、さらに宅地として不当に利得を挙げようとしていることは容易に推認できる。

(二)  百歩を譲り、本件土地が仮に農地であるとしても、自創法第五条第五号により農地委員会において買収除外地として指定すべき農地であつた。右(一)に詳述した事実に照らせば、当時本件土地は近く農地より宅地に変更すること、すなわち、近く土地使用の目的を変更することを相当とする農地であつたことは疑う余地がない。そして、右規定が農地委員会のいわゆる覊束判断事項であることは、最高裁判所の確定的見解である(最高裁昭和二十八年十二月二十五日判決等参照)。

以上(一)および(二)のとおり、本件土地の買収手続にはこれを違法とすべき原因があり、しかもそれは、いずれも重大にして明白な瑕疵であるから、右買収計画及び買収処分は当然無効と言うべく、その確認を求めて本訴に及ぶ。」

被告等主張の事実に対し、次のとおり述べた。

「(一) 中里和市が、昭和二十七年、本件土地に代えて飯能市大字飯能字滝の上千百八十九地の二畑八畝二十四歩の売渡を受けたこと、中里の住所と右土地とが約千五百米、同じく本件土地とが約二千米それぞれ離れてこいること、同人の耕作反別が、昭和二十二年当時自作地四畝五歩、小作地二反一畝二十八歩であること、及び飯能農協が財政上の理由により倉庫等の建設を取止めたものであることはいずれも認める。しかし、被告等において中里の住所と本件土地とが相当離れているので、当初から耕作権の交換を予定していたことは考えられず、却つて、本件土地を中里に売渡さなかつたのは、右土地が現実に農地として使用するに適当でないため、飯能農協に転用させるためであつたと言うべきである。

(二) 被告等主張の頃、本件土地を含めて飯能市(当時飯能町)全域が都市計画区域と定められたこと及び被告等主張の頃都市計画街路の決定がなされたことは認める。しかし、その区域内に被告等の主張するような山林地帯が含まれるか否かは知らないが、少くとも本件土地は右山林地帯には該らない。また、右都市計画街路の決定が遅れたのは戦争の混乱によるものである。

(三)  本件土地の売渡保留手続及びその経過が、被告等主張のとおりであることは認める。しかしながら、本件土地について右売渡保留の決定がなされた理由は、これが農地に適さないためであることは明らかである。」被告等指定代理人は、「原告の請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、次のとおり述べた。

「原告の主張事実中、本件土地につき被告委員会(当時飯置地区農地委員会、その後飯能市第一農業委員会、原告主張の日に飯能市農業委員会と改称。)が、原告主張のとおりの買収計画を定め、その主張のとおりの異議申立及び訴願があつたのち、被告県知事が原告主張のとおりの手続で買収したこと、買収当時から、本件土地の北側は幅員三間の砂利道路に面し、同所には高圧消火栓があること、そして上水道、燈火用電線が通じていること、本件土地が原告主張のような日時、経過で現に土地区劃整理地区に編入されていること、訴外中里和市が原告主張の頃から本件土地を引続き耕作していたこと、及び本件土地買収後における権利関係の変動が、原告主張のとおりであることはいずれも認めるが、その余の事実はすべて争う。

(一) 本件土地は農地である。(イ)本件土地は、飯能市街地から数町離れた位置に在つて、昭和二十二年五月頃、附近一帯は殆んど畑地であつた。飯能の住民は、この附近を唯一の農耕地として利用し、点々と家屋が見られるのみであつたが、その後漸く発展して現在に至つた。およそ如何なる市街地にあつても、前記上水道及び燈火用電線などのような設備があれば、これをその周辺の農地に及ぼすことは常識に照して明らかである。(ロ)本件土地上に住宅を建設する予定であつたと言う原告の主観的な意志のみによつて、これを農地でないとは言い難い。(ハ)本件土地は、和十九年五月三十一日内務省告示第三三四号、第三三五号をもつて飯能市(当時飯能町。)全域が都市計画区域と定められたのに件い、右区域内の土地となつたが、当時における都市計画の決定は、将来における発展を考慮して、市街地整備の要があると考えられるものについてなされたに過ぎず、具体的な実施計画が存するものについてなされたとは限らない。このことは、傾斜した山林地帯を有する飯能市全域が都市計画区域として定められたこと、及び都市計画街路の決定すら、七年余を経過した昭和二十六年六月七日建設省告示第五八四号によつてなされたことからも明らかである。従つて、本件土地が右都市計画区域内にあると言う一事だけで、土地区劃整理予定の区域に包含されていたものとは断定できない。(ニ)中里和市は、原告との賃貸借契約に基いて本件土地を耕作していた。すなわち、中里は、耕作の代償として原告に対し毎年甘藷二俵その他若干の野菜類を物納して居り、昭和二十二年当時、自作地四畝五歩、小作地二反一畝二十八歩を耕作していた。

なお、本件土地買収後の事情は、次のとおりである。すなわち、耕作者である中里和市に、本件土地を速やかに売渡すべきであつたが、中里の住所と本件土地との距離は約二千米もあるため、耕作権の交換等が予定されていた。ところが、昭和二十四年に至り、前記原告主張のように、たまたま飯能農協が本件土地のうち四畝十三歩の部分に倉庫等を建設する目的で中里との間に離作の協議をした結果、飯能農協が離作に伴う替地として飯能市大字飯能字滝の上千百八十九番の二畑八畝二十四歩(中里の住所との距離は、約千五百米。)を貸付けるとともに、中里の同意の下に、前記原告主張のような賃借権譲渡の許可申請手続をとつた。そして、昭和二十七年に、右八畝二十四歩を中里に売渡したので本件土地を同人に売渡す必要はなくなつたのである。飯能農協は、被告県知事の許可があつたのち、目的の達成に努力したが何分赤字財政のため倉庫等の建設を断念し、前記原告主張のような手続を経て、現在服部融泰が耕作している。また、本件土地は、売渡保留地となつたが、それは本件土地が農地に適さないためでなく、自創法施行規則第七条の二の三に基くものである。そもそも、農地の売渡を保留する区域の決定等については、昭和二十二年十一月二十六日の農林、内務各次官、戦災復興院次長の通達(所謂三次官通牒。)によつてその基準が示され、さらに、昭和二十三年四月十三日開催された埼玉県土地区劃整理地審議委員会の議決を経て昭和二十三年五月十二日農地部長の飯能地区農地委員会長に対する通達をもつて、本件土地等が都市計画法の適用されている区域内の土地で、土地区劃整理を施行していない区域であるとして、自創法第十六条の規定による売渡を保留する旨決定された。しかして、右売渡の保留は、自創法第五条第四号の規定による指定とは異なり、将来における都市の発展を考慮して、近い将来にあるいは土地使用目的の変更を相当とする事態が生ずるかも知れないことに備え、一定の期間売渡を保留し、その推移を見るために設けられた単なる行政措置にすぎない。いずれにしても、本件土地の買収及び売渡保留などは、当時における農林省の指導方針に準じたものである。

(二) 本件土地は、自創法第五条第五号により買収除外の指定を受けるべき土地でなかつた。すなわち、本件買収当時の法文(昭和二十二年法律第二四一号による改正前のもの。)によれば、自創法第五条第五号の規定によつて買収から除外される農地は、近く土地使用の目的を変更することを相当とする農地であつても、市町村農地委員会が都道府県農地委員会の承認を経て指定した農地でなければならなかつた。そして、本件土地には右指定がなかつたのであるから同号の要件を充足せず、買収から除外する理由はない。仮に原告の主張するように、右指定がいわゆる覊束裁量事項であるとしても、本件土地には、近く土地使用の目的を変更することを相当とする具体性も必然性もなかつたのであるから、買収より除外すべき何らの理由もない。仮に百歩を譲つて、本件土地が近く土地使用の目的を変更することを相当とする農地であり、かつ右指定をなすべきであつたとしても、買収当時、原告において宅地とすることの具体性も必然性も明らかにしなかつたのみならず、本件土地の当時の状況からしても宅地化を必要とする状況になく、その事情が客観的に明白ではなかつたのであるから、本件買収手続が違法として取り消されるべきものとはなつても、当然無効なものとはならない。

従つて、いずれにしても、原告の本訴請求は失当である。」

(証拠省略)

理由

まず、原告の被告委員会に対する訴について。

原告は、本件土地について、被告県知事がなした買収処分の無効確認を訴求するとともに、同一の瑕疵を違法事由として、被告委員会が定めた買収計画の無効確認を訴求する。しかしながら、自創法に規定する農地買収の手続は、買収計画の樹立に始まり、都道府県農地委員会が右買収計画を承認した上、都道府県知事の買収令書の交付をもつて完結するもので、この一連の手続において、先行、後行の関係にある買収計画、買収処分につき、共通の瑕疵を違法原因とする場合は、結局買収計画に存する瑕疵も買収処分の無効確認を求める訴においてその当否の判断を受けることができ、且つ買収処分無効確認の訴の判決は行政事件訴訟特例法第十二条の規定によつて関係行政庁を抱束するのであるから、当事者としては、私人の権利義務により大きな法律上の効果を及ぼす右買収処分の無効確認を訴求すれば足り、併せて買収計画に対して無効確認を求める利益を欠くと言わなければならない。すなわち原告の被告委員会に対する訴は、正当な利益を欠くものとして却下すべきである。

次に被告県知事に対する訴について。

本件土地をもと原告が所有していたこと、被告委員会(当時飯能地区農地委員会、その後飯能市第一農業委員会、昭和三十二年七月二十日飯能市農業委員会と改称。)が、昭和二十二年五月九日、本件土地につきこれを不在地主所有の小作地として、同年七月二日を買収の時期とする買収計画を樹立したこと、被告県知事が、右買収計画に基いて同年八月二十一日原告に買収令書を交付して本件土地につき買収処分をしたことはいずれも当事者間に争がない。

原告は、本件土地が右買収計画樹立時ないし買収処分のなされた当時において農地でないと主張する。中里和市が、昭和十二年頃から右買収当時まで引続き本件土地を耕作していたことは当事者間に争がなく、原本の存在並びに成立に争いのない甲第一号証、昭和二十二年当時における本件土地及びその附近の状況を示す図面であることに争いのない乙第一号証、証人中里和市、浜野皖、入子忠三九、綿貫恵三郎、吉田幸治の各証言によれば、本件土地は、もと荒蕪地であつたが、叙上のように中里が関与するようになつてから、同人において開墾耕作し、麦、甘藷などが栽培されて来たこと、小作料については、当初整地を主眼としたため特に定められることもなく、中里がこれを持参しても受領されなかつたが、やがて昭和十八、九年頃から食糧事情が窮迫するにつれ、年に甘藷二俵位の割合で原告の収納するところとなつたことが認められる。右認定を覆すに足りる証拠はない。そして、中里が昭和二十二年当時、本件土地を含めて自作地四畝五歩、小作地二反一畝二十八歩を耕作する身であつたことも当事者間に争がないから、これら諸事実を併せ考えれば、本件土地は前記買収計画樹立時ないし買収処分のなされた当時において、耕作の目的に供せられていたと言うべく、自創法第二条第一項に定める農地に該ると判定しなければならない。もつとも、原告は、その頃既に本件土地に住宅を建設する目的を持つていたと主張する。しかしながら、右自創法に言う農地に該るかどうかの判断において、土地所有者の主観的意図が顧慮されなくてはならない場合もあろうけれど、たゞかようにして斟酌されるべき所有者の意図は、遠くない将来において、これを現実化することの保証が客観的に明らかな場合でなければならないと解すべきところ、本件においてはこの点につき何等の証拠も認められない。また、原告は本件土地が周囲の状況などから、及び買収後における権利関係の変動から、これを農地と認むべきではないと主張する。しかし、前記のような客観的事実が認められる以上、かような事情は、本件土地を近く宅地にするのが相当であるかどうかの判断にあたつて採り上げられる資料にはなつても、買収当時本件土地が農地であることを否定する資料とするには値しないと言うべきである。従つて、いずれにしても、本件買収処分が非農地を農地と認定された点で無効であるとの原告の主張は理由がない。

進んで原告は、本件土地が近く土地使用の目的を変更することを相当とする農地であると主張する。買収当時から、本件土地の北側は幅員三間の砂利道路に面し、且つ同所には高圧消火栓一基が存すること、及び本件土地には上水道が敷設され、燈火用電線が通じていることは当時者間に争がなく、さらに前出乙第一号証、証人中里和市、入子忠三九、綿貫恵三郎の各証言および検証の結果を綜合すれば、本件土地は、東飯能駅から西方に向つて市の中心を貫く道路を西へ行くこと約一粁余の地点に位置する飯能市役所の南方約四丁にあること、本件土地の西南には入間川(名栗川ともいう。)が流れているため、本件土地は市街の西南端にあたること、買収当時、その東側には本件土地の略々半分の広さを持つ畑地と、その余を占める宅地があり、さらにその東側を幅員約一間の道路が南北に走つて、これを距てて本件土地程の畑一筆があるが、さらにその東方には住宅地帯が連つていること、西側には住宅一戸および本件土地の略々半分程の畑地があり、さらにその西側に幅員約二間の道路が南北に通じ、右道路を距てて住宅が密集していること、南側は九戸の建物が東西に略々二列に並び、さらにその南側を幅員約一間半の道路が東西に走つて、これを距てて約半丁ほどで名栗川河原に及ぶ間に畑地があり、右道路上には高圧消火栓一基が存在すること、北側は前記砂利道路を距てて住宅地帯となつて居り、たゞ本件土地の北西に当る部分が一部畑地となつていること、また本件土地の東方約五十二間の場所には飯能市の公娼街が存したこと(検証当時「昭和三十三年六月二十三日」においては、前記東側に接していた畑地も宅地と変り、西側の畑地は住宅用物干場、庭園などに化している。)がそれぞれ認められる。この点について被告県知事は、本件買収当時、本件土地附近一帯は殆んど畑地であつて、点々と家屋が見られるのみであつたと主張するが、以上の認定に反して右主張を肯認すべき証拠はない。他方、昭和十九年五月三十一日内務省告示をもつて本件土地を含む飯能市(当時飯能町)全域が都市計画区域と定められたことさらに買収後間もない昭和二十三年四月十三日に開催された埼玉県土地区劃整理地審議委員会の議決を経て、昭和二十三年五月十二日、当時都市計画法の適用されている区域内にあつて、未だ土地区劃整理を施行していない土地であつた本件土地について、自創法第十六条の規定による売渡の保留決定がなされ、その後現在まで農林省所管の国有地として国が保有していること、昭和二十四年四月十四日、飯能農協が、農業倉庫等を建設する目的から、中里和市の離作同意を得て、被告県知事に対し農地調整法施行令第二条第一項の規定による賃借権譲渡の許可申請をし、同年六月三日右許可を受け、続いて同年六月十五日、その目的達成のために土地使用目的変更の許可申請をし、同年七月二十六日その許可を得たこと(その後、飯能農協は財政上の理由から建設を取止めた)、降つて昭和三十年六月五日、本件土地を含めて飯能市久下地内土地区域整理組合が設立され、昭和三十一年三月十五日付をもつて土地区劃整理法第十四条の規定に則り被告県知事に対し認可を申請し、同年七月七日右認可を得たことは当事者間に争がない。以上のような事実から考察するとき、原告主張のその余の点およびこれに対する被告県知事の答弁について考えるまでもなく、本件土地は、買収当時、飯能市内の西南端にはあるが、その周囲には前記一部の畑地を除いて住宅がめぐり立ち殊に北東部よりただちに飯能市の中心街に連つており、住宅用地として好適であつて、たとえ農地の現況にはあつても、何人もその客観的状況から、極めて近い将来において住宅地に転化せざるを得ない必然性を推知することができたと認められ、従つて、近く土地使用の目的を変更することを相当とする農地であつたと言わなければならない。

ところで、本件買収当時、市町村農地委員会が農地につき自創法第三条による買収計画を樹立するに当つてはは、その農地が客観的に同法第五条第五号に言う「近く土地使用の目的を変更することを相当とする農地」に該当する場合には、当然都道府県農地委員会の承認を得て同号所定の指定を行い、これを買収の目的から除外すべきものであり、右指定を行わずして買収計画を定めるようなことは違法と言わねばならない。そして、このような買収計画に基く買収処分の違法であることも勿論である。しかして、本件土地について右指定を行うことなく買収したことは、被告等の自ら認めるところであるから、本件買収計画及び買収処分は違法と言うことになる。さらに、行政処分が単に取消し得べき程度の違法と言うに止まらず、当然無効と言い得るためには、その瑕疵が重大且つ明白でなければならないと解されるが、前認定のような、本件土地について何人もその買収計画樹立の時に、その客観的状況から推して、近く宅地化することの必然的傾向を明瞭に窺い得たと認められる以上、かような事実を無視して定められた買収計画は、その内容において重大な瑕疵があり、しかもそれが明白な場合として当然無効となすべきである。そうすると、かような無効の買収計画に基いてなされた本件買収処分もまた当然無効たるを免れない。もつとも、この点について被告県知事は、当時本件土地には近く土地使用の目的を変更することを相当とする具体性と必然性がなく、また仮にこれが存したとしても原告においてこれを明らかにしなかつたから、前記指定をしないで買収したという瑕疵は客観的に明白とは言い得ないと主張する。しかし、当時本件土地が前記認定のような客観的状況にあつた以上、被告委員会は、特に近い将来に住宅地に転化すべき個人的事情が存し、あるいは原告がかゝる事情の存在を示すというような特別の事情が存しないまでも、自創法第五条第五号を適用すべきであつたのであり、この意味において、右瑕疵は明白であつたと判断することができる。

以上の次第であるから、被告県知事に対し、本件土地についてなされた買収処分の無効確認を求める原告の請求は理由がある。

よつて、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、第九十二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 西幹殷一 中田四郎 大久保太郎)

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